宮崎の森林鉄道地図
- 2011/06/10(金) 01:41:54
宮崎県は全国有数の森林鉄道県であったという。最盛期にはなんと400km以上あったという。県内のJR路線より長かったのである。それがことごとくなくなってしまった。
やはり何にでも熱中人がいるものでココが県内の森林鉄道の情報を集めている。廃線跡の調査もなかなかのものである。ただし、彼が学生時代の調査のようだからそれから10年以上経過しているのでいよいよ廃線跡は風化しているだろう。興味ある人はぜひ参照していただきたい。
このサイトでアメリカ陸軍の作成した日本地図に森林鉄道の記載があることを知り、さっそく手に入れた。どうやら戦後に占領軍が作成したものなので戦後すぐの様子がわかるのである。戦中から準備していたものかもしれない。こんなカラーのきれいな敵国の地図を作って戦争や占領に臨む準備周到な国と戦争をしても勝てそうに無い。
昔の日本の地図と違い、鉄道より道路をはるかに優先して表現してあるので鉄道の影の薄い地図であるが、よーく見るとあちこちにナローゲージのマークが見える。森林鉄道には「Logging」という表示がついている。線が細くわかりづらいので紫色の線でなぞってある。原本を見たい人は自分でダウンロードして欲しい。(このエントリー末尾にリンクあり)
下:県北。見立、鹿川、北川の3本が確認できる。北川のものは大分県内にまで伸びている。別に藤河内に伸びる支線があったらしいが記入がない。森林鉄道は規格により高規格のものが鉄道、低規格のものが軌道と称されたが北川のは鉄道である。昨日の写真を参照。(クリック拡大)
下:入郷。諸塚と渡川に確認できるが、椎葉や高千穂にはない。(クリック拡大)
諸塚のものは「諸塚村史」に簡単な記述がある。それによればこれは幅2mのトロッコ道で昭和7年に塚原滝ノ下から立岩矢村まで10.2kmが開通し、その後上長川(カミナゴウ)まで延長された。当時は軌道があっても「林道」と称した。昭和27年には軌道が撤去され車道になったので、この軌道の寿命は20年間。子供の頃乗ったという人はまだたくさんおられるはずである。
下:児湯地区。尾鈴、米良、綾あたりに国有林が多いのでたくさん路線がある。国鉄妻線は健在のころ。杉安まであったので森林鉄道は杉安が起点になっている。
下:県央。綾には路線が集中している。国有林が多いところには営林署経営の鉄道がある。(クリック拡大)
下:県南。飫肥は稠密な路線網。まだ国鉄日南線はなく、北半分は宮崎交通の軽便鉄道内海線、南半分は国鉄志布志線である。(クリック拡大)
かつて県内山間部の交通に重責を果たした森林鉄道であるが、林業関係者や山村の人々しか触れる機会がなかっただろうから、一般社会からは縁遠い存在だったのかもしれない。また歴史的に見ると短期間しか存在しなかったこともあって、あまり情報がない。
たとえば30km以上の本格的鉄道が敷かれていた北川町の分厚い「町史」を見てみると、この鉄道の記述はほんの数行しかない。写真も地図もない。国鉄の日向長井に起点があったはずであるが起点も終点も触れてない。
昭和10年頃が最盛期で、地域住民によく利用されたが、昭和30年に廃止された、とあっさり流している。町史記述者の興味の及ぶ方面の記述は微に入り細を穿っているのであるから、単に彼に鉄道に興味が乏しいということなのかもしれないが、いささか残念である。
※次回エントリーで新潮社「日本鉄道旅行地図帳」に記載の森林鉄道路線との比較を検討してみる。
テキサス大学所蔵のアメリカ陸軍の地図はココ
宮崎県北部は NI 52-16 Kumamoto
宮崎県南部は NH 52-4 Kagoshima
大分県は NI 52-1 Kokura
などと県別ではなく、主要都市がファイル名になっているのでそのつもりで見当をつけて探すのがコツ。公開されているので自由に使用できる。太っ腹だねぇ。
画像を選んで表示→右クリック→画像を保存、でダウンロードできる。
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