コクリコ坂から
- 2011/07/22(金) 01:05:57
私は大昔からのジブリファンなので、前評判のいかんにかかわらずジブリの映画は見に行く。
今年は「コクリコ坂から」。監督は宮崎駿の息子、吾郎氏である。吾郎は元来信州大学の林産関係を出て、造園技術者として働いていたのであるが、ジブリ美術館の設立とともにジブリにスカウトされ、さらには前作「ゲド戦記」で映画の監督をするに至った。
「ゲド戦記」はジブリブランドの力で興行的には失敗はなかっただろうが、作品的にはとても成功したとはいいがたい。職人芸が必要とされるアニメーションでずぶの素人がいきなり傑作を作るという離れ業は期待してはいけない。
ただし、あれはいかに原作が優れていようが、短いアニメーションにまとめるとなるとだれがやってもおいそれとはうまくいかない作品のはずで、吾郎氏ばかりを責めるわけにはいかない。
だから今回も制作が公表されてもあまり期待はしていなかった。しかし7月になり試写会がはじまるとレビューで好評価が多いので、意外にいいんじゃないか? という期待も出てきたが、やはり自分の目で見なければなんともいえない。
ということで、2回も見てきた。私の批評眼は自分自身必ずしもあてにならない、と思っているのでこの作品については1回で判断を下せなかったからである。
1回目では、「まぁ、悪くはないけれど....今ひとつ食い足りない」、というくらいの印象であった。80分しか尺がないのでストーリー展開に遊びがない、とか、察しの良くない観客は置いていかれる説明抜きの飛躍があるとか、泣かせどころが単純である、とか釈然としない点があるのである。
間、数日を置いて2度目を見た。今度は話がわかっているので余裕を持って見る。すると、音楽といい話のテンポといい、快適なリズムで展開し、過不足がない。泣かせどころも何箇所もちりばめられている。スッキリ切れ味のいいエンディングにはTVCMですっかり耳になじんだ「さよならの夏」が効果的にかぶさる。こんな切れ味のいい幕切れはジブリでは久しぶりではないだろうか。そこは学園物ラブストーリーという設定も共通する「耳をすませば」に似ている。
実は「耳をすませば」と「コクリコ坂」の共通点は他にもあって、どちらも少女マンガ雑誌の連載物、宮崎駿の企画脚本、若手の監督、劇中に歌う場面が効果的に使われている、東京近郊の具体的な町が舞台、すてきな洋館が出てくる、二人が自転車にニケツで乗って坂道を疾走する、などなど。宮崎氏は背後から若手をこういう形で支援すると佳品ができるようだ。自ら腕を振るうと力みすぎて独りよがりになってしまう、という作品が近年多いのである。「もののけ姫」「ハウルの動く城」「ポニョ」など。
大変満足した2度目の鑑賞であった。自信を持って人に薦められるのであるが、こればかりは各人各様の感性をお持ちなので絶対はない。たとえば私の娘は感動していたが、息子にはあまり受けがよくなかった。
ジブリ作品の中の佳品は何度見ても面白い。逆に繰り返し見たくない作品は私にとっては駄作である。私は「ラピュタ」「トトロ」「耳を澄ませば」「紅の豚」など何度繰り返し見ただろう。残念ながら「ポニョ」は何度も見る気がしない。しかし、「コクリコ坂から」は私はDVDが発売されれば何度も繰り返し見て、何度も涙を流せるだろう。
というわけで、余裕のある方は2度見ることをお勧めする。
映画パンフレットの中で吾郎氏は意訳するとこう述べている。
「生まれて初めて死に物狂いで仕事をし、偉大な父親の書いたシナリオに恥じぬ作品にできるだろうかという不安とプレッシャーにもがき苦しんで暗中模索で製作を進めた。しかし製作最終盤で音声や音楽が入り映画が形をとりだすと、意外や自分の力量以上の、予想を上回る素晴らしい作品が姿を現した。自画自賛ではなく恵まれたスタッフと幸運のおかげであった。」と。
まったくそうかもしれない。彼は「ゲド戦記」では父親にネグレクトされ、完成間際には自分自身で自信喪失したり、完成後はあらゆる映画評にさんざんに罵られ、私の察するところ針のムシロだったと思う。
今回5年ぶりの再挑戦は立派に汚名を晴らした。
下:主人公の少女、海は毎日庭のポールに信号旗を揚げる。信号の意味は「安全な航海を祈る」。ただし劇中ではなんの説明もない。結局最後まで意味不明なのでいささか後味が悪い。
ネタばれにならないストーリーはココで見ていただきたい。
もし見に行くならそこで予習していったほうがいい。
時代設定は1963年の横浜。原作漫画は1980年代のものだから、あえて高度経済成長期に戻したもの。50年前、すなわち半世紀前。オリンピック前の喧騒、まだまだ社会が貧しい時代、大都市の景観は決して美しくはなかったはずだが、この映画ではとても素敵に見える。ジブリならではの背景の緻密さ美しさを十分に堪能できる。そして我々の世代には懐かしい風景や小道具が随所に出てくるのが楽しい。
舞台は横浜と明示されているので、昔の写真や映画などで考証しているはずである。半世紀前、横浜にはあんなに緑が多かったのだろうか?赤松の大木の並木も見られる。そう、土々呂のマツは過去のエントリで述べたが、昔の景観のツボはマツの大木であった。
ところがあの赤松並木は創作らしい。吾郎氏が考証の末、絵になりにくい山下町近辺の風景に悩んでいると白いヒゲのオジイサンが後ろに立ってアドバイスをくれたという。「赤松を入れろ」と。---When I find myself in times of trouble, Father Hayao comes to me,Speaking words of wisdom,"Red woods be."---という感じかな?(もちろんLet it beのメロディーで)
宮崎駿氏は子供のクレヨンセットの茶色は元来赤松の幹を塗るためのものだったと言う。それだけ昔の景観には赤松がありふれたものだったのである。赤松は郷愁をさそうポイントなのであった。ただしそれは関東地方のこと。九州では黒松。さらにはあの界隈に大木の赤松並木があったかどうかはぜんぜん根拠がないのである。
私はこの映画の時代の10年後に横浜の山下町、関内あたりを何度も歩いたが、すでにこの映画のようなレトロ感はなかった。いや、もともとなかったのかもしれないが。
ジブリ映画は音楽がいいことでは定評がある。宮崎駿監督の場合は久石譲が音楽を担当するが、他の監督の場合は異なる。今回は武部聡志。劇中多くの歌が流れる。
ちょうどあの時代の大ヒット「上を向いて歩こう」が繰り返し流れ時代感覚を表す。この映画オリジナルの手島葵の歌もなかなかいい。エンディングの「さよならの夏」は宮崎駿氏のたっての指示とか。1976年の同名のTVドラマ主題歌で森山良子が歌った。宮崎駿氏が「コクリコ坂」を構想したのは1980年代に遡るというから長年温めてきた作品である。道理で熟成されたシナリオの訳だ。当時からテーマ曲として「さよならの夏」を仮想していたという。
森山良子の歌唱はココで聞ける。堂々たる歌唱力。
映画中では手島葵の歌である。例のボソボソとした歌い方であるがこれはこれで悪くないのである。
下は現在Youtubeで聴ける映画中のオリジナル曲。いづれ削除されるだろうから早いうちにダウンロードしといたほうがいいかも。
あさごはんの歌
懐かしい街
紺色のうねりが
上の「紺色のうねりが」では歌/松崎海、となっているが、これは映画の主人公の少女の名前である。映画中では男子生徒中心の斉唱である。なおこの「海」という主人公は場面により友人たちから「メル」と呼ばれる。アニメのキャラクターはみな似たような顔をしているので一瞬別人か?とも思うが、メールはフランス語で海であるからどうやらニックネームらしい。それもなんの説明もないので混乱を招きかねない。
ココのブログでは「さよならの夏」を含めCD収録全曲を聴ける。
他に学生たちの合唱で「白い花のさく頃」が歌われる。話の流れからは、討論会がヒートアップした時、見回りの教員が来るのであるが、荒れた討論をカモフラージュするためリーダーの機転で合唱をする。ということのようだ。歌の選択がなぜこの歌なのかは不明。この場面もうっかりしているとつながりがわからない。メガネの意地悪そうな教員は伏線として一度前に出しておくべきだろう。観客には彼が校長なのか生徒指導教員なのか他の何なのか知る由もないのだ。
歌は昭和25年のナツメロ。ココで原曲が聴ける。
※「紺色のうねりが」については興味深い点が多いので次回エントリで詳しく記す。
※原作マンガについてはココで記している。
※美術・背景・カルチェラタンについてはココ。
※2013年7月の「風立ちぬ」レビューはコチラ。
下:宮崎氏が山荘で「なかよし」を読んだ思い出を書いたエッセーは「出発点」にある。若き日の思い出に満ちた大変面白いエッセー集である。現在英訳版も出ている。
「折り返し点」はその後に書かれた雑文を集めたもの。
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この記事に対するコメント
現在17才僕にとって生き方を変えようと思わせてくれたさせた作品でした。
つばさ君へ
17歳の若者に生き方を考えさせる、というだけでも監督はじめ製作者の労苦は報われるというものです。もし見ていないならジブリの他の作品、「おもひでぽろぽろ」や「耳をすませば」も是非見てください。